セミの鳴かない夏
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     毎日ほんとうに暑いですね。外で仕事していますと、昼間だけで4リッターは飲んでしまいます。数人で作業していると、夕方には助手席がペットボトルでうまっています。

     東京は早々に梅雨明けしてから連日猛暑で、ほとんど雨もなくカラカラです。おかげでカは少なくて助かります。カはほんの少しの降雨で発生するものです。また、われわれの天敵ともいうべきチャドクガもなぜかとても少なくて、助かっています。なにしろ奴らがいるってえと、数日かゆくて仕事にならないのです。いまこれを書いている時点で、関東に台風が接近中です。災害にならない程度に地面を潤してくれることを切に願います。

     

     

     写真は、レモンの葉っぱに留まっている「空蝉」です。こんなに暑いのに、セミが静かだと思いませんか?ネットで検索してみると、今年は全国的にセミが少ないという報告がいくつもあがっています。セミが少ないのは大地震の前兆だなんで迷信をあおる記事も散見しますが、これはフェイクでしょう。この暑さにアブラゼミの大合唱が加わると、より暑苦しく耐え難いとは思います。それにもかかわらずあまりにも静かで、夏らしくない。夕方のヒグラシの声には哀愁を帯びた涼しさを感じるのに、ヒグラシにいたってはまったく聞かない。

     セミだけでなく、チョウや、世間の困りもののコガネムシですら少ないような気がします。

     暑くて乾いているとハチが多いと言われます。6月に3人立て続けにハチに刺されたので、これは用心しなくてはとインセクトリムーバー(虫の毒の吸出し器)を全員分買いこんだのに、その後まったく遭遇しません。

     クモも少ない。いつもですと車のなかに、ハエトリグモやアリグモが数匹すみついていていいペットになっているのにいない。カマキリの子供は少し見かける。

     こうした虫の世界の捕食者が少ないということはやはり、虫の全体量が少ないのではないか?と思うのです。どうやらこの異常気象が、虫たちを異常に減らしているのではないかと、危惧します。

     先日の最高気温のでた日、ジリジリとくる太陽に滂沱の汗。うんざりして空を見上げてみると雲もなく、チョウも鳥もトンボモ飛んでいない。セミもヒヨドリもカラスの声もない。練馬区で仕事をしていたのに、砂漠に似た無機質な無生物感に少し寒くなったのです。

     

     生物多様性はまず、虫の多様性の担保だろうと思います。

     

     猛暑がまだまだ続きそうです。みなさまどうぞご自愛ください。

     

    文責・藤本邦彦

     

    | 生きもの | 21:49 | comments(0) | - |
    今月の虫たち
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       先日のこと、ドクダミを引っこ抜いて柔らかくなった地面を、せわしなく歩くハチがいます。しきりと触角で地面をさわりながら、足早に地面を歩き回るのです。2センチくらいで、羽は閉じたまま。ハチにしては胴体のくびれのないずんぐりとした体形です。どうやら、ヒメハラナガツチバチです。

       しばらく歩き回ってから、急に狙いを定めたように足で地面を掘り始め、頭からどんどん潜っていきます。ものの20秒くらいですっかり見えないくらい潜ってしまいました。柔らかくなっているとはいえ、早いのにびっくりです。数分後、どこかそのあたりから出てきて、また地面をうろうろしはじめました。

       まだ抜いていないドクダミのほうにやってくるので、つぶしてしまってはかわいそうと手で追い払っても、しつこくやってきます。ハチですが人を刺すことはありません。

       動画を撮ったものの、写りが悪いので、ポプラ社ポプラディア「昆虫」の写真を拝借します。

       

       

       ハチについては誤解が多いと思います。人を刺すハチは、大きな巣を作り集団生活する、ごく一部のハチで、その他の単独行動のハチは刺したりしません。また、ハチは地上生活が多いような気がしますが、アリの仲間なので、地中に巣を作る、アナバチ、クロスズメバチなど、地面を掘るのが得意な種類もいます。

       ツチバチは、初期のカリウドバチとされています。匂いで、地中のコガネムシの幼虫を探して、あたりをつけて地面に潜ると、毒針で動けなくしておいて卵を産み付ける。生まれた幼虫は、麻酔されて生きているコガネムシの幼虫を食べて大きくなり、成虫になって土の中から出てくるのです。

       コガネムシの幼虫は、植物の根っこを食べて育ち、成虫になると、いろんな葉っぱを食害する大害虫です。それにしても、コガネムシの幼虫は自分と同じくらい大きいし力も強い。頭から潜っていって、土の中で体をひっくりかえして、コガネムシの神経系をさぐりあて、一発で麻酔を決めるワザに感心します。真っ暗な土の中で、どうやってわかるのでしょうか、不思議です。ハチの潜ったあたりを掘ってみましたが、コガネムシの幼虫は見つけられませんでした。

       卵を産みっぱなしで、巣を作らないので、より原始的なハチだとされます。ドロバチや、カリュウドバチなどは、巣の中に麻酔した獲物をたくわえて、卵を産み付けます。その他の寄生バチもそうですが、生まれた幼虫は、獲物を殺さないように、最後まで生かして、新鮮なまま食べつくすのです。食べる順番は決まっていて、内臓や神経系を傷つけないようにします。これもすごいワザですね。寄生バチにいたっては、寄生している芋虫は普通に生活していて、でも体の中は食い尽くされて、ハチが体を食い破って出てくるまで、生かされているのです。

       

       もうひとつ、虫の話です。

       ツバキの枝が、なんだかちょっとヘンなのです。葉っぱのない枝が、ちょっと斜めについています。トビモンオオエダシャクという、尺取虫の最大のやつで、10センチ弱あります。尺取虫は、シャクガの幼虫の総称です。頭のすぐ下と、最後尾に数対のかぎづめがあり、最後尾の爪で枝を擬態してまっすぐに伸びているのです。農家のおぢさんが枝かと思って土瓶をかけたら、くねっと折れて土瓶が割れたので、「土瓶割」とも言います。

       それにしても、全身筋肉、すごい体幹です。さわると、こりこりに硬い。歩くときは、頭をびよーんとのばして四方を探り、着地点を見つけると口の下のかぎづめで頭を固定し、体の後ろを丸めて頭の裏に持ってくる。これを繰り返して進むので、けっこう距離が稼げます。

       

      これは、ムシです

       

      これは、ネコです

       

       

      それにしてもこの顔!どうみてもネコですね。

      本名が長いので、ネコシャクと呼んでiいます。見かけるとつい、頭をなでてやりたくなります。

       

      文責・藤本邦彦

       

      | 生きもの | 23:07 | comments(0) | - |
      「まだです。」ってえのは、なんだ?
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        いやあっ、面白かった!!

        感動的に面白かった。

        さいきん寄席にも行けてないので、久しぶりに爆笑して、気持ちよかった。

         

         

         

         

        昨夜、わからないまま誘われて出かけた、「劇・楽・団 まだです。」の初回公演です。まだ、6月17日日曜まで公演やってます。入間市文化創造アトリエAMIGOホール 

        http://xymox-jam.com/?p=506

         

        金子しんぺい(パントマイミスト)
        河野真志(芸人)
        齋藤ちゃくら(ミュージシャン)
        龍英(音楽家)

         

        魅力的で個性的な若者4人のユニット。それぞれの持てるワザを生かして、作り出した、まったく新しい試みです。一本数分の寸劇、100分。 

        おすすめです!

        ぜひ、見てください!!

         

        文責・藤本邦彦

        | 落語・演芸 | 07:03 | comments(0) | - |
        ルドンと、片山健
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            絵を見ることのなかった二十代の私に、衝撃を与え、見ることへの関心に差し向けた画家がオディロン・ルドンです。ルドンは、19世紀末のフランスの画家です。「ルドンー秘密の花園」展に行きました。東京の「三菱一号館美術館」、5月20日で残念ながら、会期終了です。

           

            ルドンは、木炭やリトグラフの白黒の世界、かなり異様な初期の絵が有名です。たとえば「沼の花」。夜の沼に一輪咲いた、ホウチャクソウのような、悲しげなおぢさんの顔の花が、静かに輝いている絵は、特に知られています。美術に教養のなかった私に、興味を持たせた絵です。

           

             色彩を、きらきらとした光におきかえて表現した印象派絵画全盛の時代に、ずっと黒だけで描き続けていたのが、ルドンです。しかしながら、黒で描くということは、光と影の観察力と、比類なきデッサン力が必要です。「黒は最も本質的な色だ。精神のための働き手なのだ」 ルドンは、モノクロ画を長く修練してから、パステル画や油絵を多く発表し始めます。その発色の美しいこと。

           

           

           

            モノクロの世界から、色彩へ転身した絵本作家がいます。片山健さんです。若いころは、精緻なデッサンの細密な鉛筆画をずっとやってこられ、長男の誕生に、ありあまるパワーを感じて油絵で描き下ろした絵本「どんどん どんどん」で、一気に色の世界に転身しました。それから、油彩、水彩で数々の名作を発表しておられる、わたしの一番好きな作家です。片山さんの描く、生き物、植物のなんと生き生きとしたことか!

          「やまのかいしゃ」「たんげくん」「えんそく」など、大好きです。片山さんは、一度あった人は、絶対忘れないとおっしゃっていました。優れた画家の資質は、形の細部の記憶力なんだなと、納得したことがあります。

           

              『ルドン 私自身に』いう自伝で、こうも語ります。「暗示の芸術は、ものが夢に向かって光を放ち思想がまたそこに向かうようなものです。退廃と呼ばれようが、呼ばれまいが、そういうものです。むしろ我々の生の最高の飛翔に向かって成長し、進化する芸術、生を拡大し、その最高の支点となること、必然的な感情の高揚によって精神を支持するのが、暗示の芸術です」 これは、象徴主義といわれる流れです。ギリシャ神話の世界などを題材に、「暗示」を圧倒的なリアリティで、空想世界を精緻に、象徴的に描いた画家たちが、象徴主義の作家たちです。コンスタン・モンタルドの「天国の庭」、ポール・デルヴォーの街路樹など、巨樹に象徴的な意味を持たせて描いた画家が多くいました。

           

            ルドンは、二十歳前にアルマン・クラヴォーという植物学者と出会い、多大な影響を受けたとされます。今回の展示は「植物と装飾」という副題がついていて、人物画の傍らに立つ巨樹、華やかな花、蝶、モノクロの半分植物のような奇怪な生き物などの作品を系統的に展示しています。

          メインは三菱美術館が買い取った「グラン・ブーケ」です。2.5×1.7メーターの大画面に、青の花瓶が据えられて、零れ落ちんばかりに花々が盛られた絵です。キク科、ケシ科と思われる花は、現実になさそうな色と形。そのわきには、金色の葉の巨樹が。巨樹は信仰の対象になるくらい、精神的な支えであり、植物は、根源的な生命力を感じさせるものです。

            

            絵に描かれた植物が何で、何を暗示するものなのか、商売柄、とても気になります。

           

           

          文責・藤本邦彦

           

          | 美術 | 21:28 | comments(0) | - |
          『獄友』来るべきもの
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            ポレポレ東中野にて絶賛公開中のドキュメンタリー映画、『獄友』を観て来ました。

            『SAYAMA みえない手錠をはずすまで』、『袴田巌 夢の間の世の中』に続く、金聖雄監督のシリーズ第3弾です。

            石川一雄さんと袴田巌さんに加え、今回は「布川事件」の桜井昌司さんと杉山卓男さん、「足利事件」の菅谷利和さんたちにもスポットが当てられます。


            映画はフリージャズのような息を飲むドラムソロで幕を開け、トランペットやベースやピアノやテルミン!などのやはりスピリチュアルな素晴らしいソロ演奏が、冤罪被害者である登場人物それぞれのシークエンスのBGMとして、当時の事件のモノクロの記録映像や写真と相まって緊張感を生みます。


            劇中の音楽を聴いていてふと、3年前に亡くなったオーネット・コールマンという音楽家のことを思い出しました。

            フリージャズなんて言うとちょっと取っ付き難いイメージがあるかも知れません。突き詰めていくと正直音楽だかなんだかよくわからなくなって、現代音楽なんかとの境界もはっきりしない部分はあるし、もとより音楽が思想云々を纏いだすと極端に詰まらなくなったりもします。

            だけどこのオーネット・コールマンらが発明したいわゆるフリージャズと呼ばれる音楽の、メロディ、コード、リズムなど西洋音楽の制約や構造からの脱却であったり、或いは当時の黒人ミュージシャンたちの人種差別への抵抗や解放への切なる願いといった表現の下地となるもの、特に南部出身のオーネットはこの問題に対する意識が強かったのかも知れませんが、そういったこの種の音楽が持つ背景や文脈、自由というものに対する姿勢が、この映画の物語のテーマと重なるところがあって、今回の作品のこの音楽的アプローチがなんだか勝手に腑に落ちたりもします。


            物語に話を戻すと、やはり皆、奪われて失われた時間に対する苦悩や葛藤をそれぞれ抱えながらも、人並みの社会生活の中で手探りで自由を求めて生きていく姿が描かれます。

            石川さんは毎日体を鍛えながら自身の無実を訴え続け、袴田さんは拘禁症と闘いながら少しずつ現実世界へと希望へと歩み出し、桜井さんは自ら作詞作曲した曲を涙しながら高らかに歌い、菅谷さんは生まれ育った街に戻り孤独と向き合いながらも法制度や権力に声を上げます。

            皆それぞれ違う街に住み新たな人生を送っているけれど、誕生日を祝いに駆けつけたり、コンサートを聴きに駆けつけたり、体調を崩したら見舞いに駆けつけたりと、情深い絆で支え合い、新たな自由やこれからの幸せを共有していこうとしている様に見えます。

            そんな彼らは皆共通して、クシャっとした屈託のない笑顔を時折みせます。

            やましさや後ろめたさなど微塵もないけれど、どこかある種の照れが見え隠れするようなそんなクシャっとした人間味溢れる笑顔がなんだか妙にこちらを惹きつけます。


            そしてエンドロールの素晴らしい大合唱大団円。映画ってやっぱりイイなぁと思わせてくれます。


            劇場を出る時、あまり若者の姿を見かけなかったのが少し気になりました。

            死刑制度と冤罪の問題、差別意識と同和問題の歴史、またメディアリテラシーについて、あらゆるメディアやSNSなどで拡散される膨大な情報の渦の中で、飲み込まれる脆弱な個人の主観の危うさ、その拠りどころなどなど、本当に様々な社会問題ついて、そしてそれに対峙する個人について考えるきっかけになるので、もっともっと10代、20代、30代の若い世代が劇場に足を運んで観るべき映画だと思いました。



            文・神田

            | 映画・本 | 23:11 | comments(0) | - |
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