噺家の東村山
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     この秋に、落語協会から新真打3人が誕生します。柳亭こみち、古今亭志ん五、桂三木助の三師匠です。ところで、このうち、柳亭こみち師匠が東村山出身、古今亭志ん五師匠が東村山在住なのです。東村山といえば「志村けん」ばかりが有名でした。いま、「噺家の東村山」なのです!

     東村山市議会はこの快挙を受けて、東村山市営寄席の建設運営を企画。貧乏市の財政をめぐって市民を二分する騒動に進展、街をあげて大騒ぎ・・・ということは、どうも全然ないのですが、それにしてもすごいことです。

     

     柳亭こみち師匠は、2003年2月に柳亭燕路師匠に入門。そのころ私は、柳家小三治師匠門下で燕路師匠の兄弟子に当たる、柳家喜多八師匠を追っかけていまして、三田のお寺の喜多八師定例会に毎月出かけていました。その会に、元気な女性前座が出ていて、珍しいなあと思ったのです。

     2004年10月のこと、東村山の新築のお宅に、造園の打合せにうかがいました。奥様のお父上が、黒澤映画に出演されていた名優で、その血筋なのか、大学を出て出版社に勤めていた娘さんが、噺家の前座修行をしていると伺って、あっ、あの前座さん!!と、この符合にびっくりしました。

     

     

     先日、真打昇進祝いのパーティーにお招きいただき、僭越ながら出席いたしました。400人近い人がお祝いに駆け付け、温かな、いい会でした。入門からはや15年。ついに真打ちです。師匠と呼ばれる立場です。男社会の落語業界の中で、勉強熱心で、何事にも正面から全力で取り組む姿勢が、篤い人望を集めています。その間に、結婚、二子の出産、子育てをしながらの快挙です。お母さん真打は、初めてではないでしょうか。うちにも、お母さん植木屋が一人います。なににせよ、両立は大変なことです。柳派の正統古典落語を、女性目線で演出しています。

     

     ちょうど昨年のいまごろです。剪定作業にうかがった、東村山市内のお宅で奥様が、「うちの義理の息子が噺家なのよ」とおっしゃるので、これまた、たまげました。古今亭志ん五師匠のことです。敷地内に2棟たっている奥のお宅にお住まいだそうで、よく着物で歩いているので、近所で目立つんだとか。夕方、洋服で出てこられましたが、なんとなくふつうの商売にないフラがあるなあと感じました。

     古今亭志ん五師匠は、大学卒業後、2003年2月、先代志ん五師匠に入門。2010年に先代が61歳で死去されて、古今亭志ん橋門下に移籍。そして今回、先代の名を引き継いで、真打昇進です。なんと、わたしの大学の後輩でもありました。古今亭らしい、やわらかで確かな口跡がいいですね。

     

     桂三木助師匠は、祖父が「芝浜」で売った昭和の名人、三代目三木助、叔父が四代目三木助です。イケメンっぷりが、そっくりですね。

     

     それにしても、新真打3人のうち、2人のご実家が、私どものお客さまということも、すごいではないですか。

     

     この3真打昇進襲名披露興行が、まもなく9月21日から、上野鈴本演芸場を皮切りに国立演芸場まで50日開催されます。一般興行とちがって、お披露目があって、華やかな席です。

     どうぞみなさま、お出かけください。

     

    文責・藤本邦彦

    | 落語・演芸 | 20:06 | comments(0) | - |
    柳家喜多八師匠
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       東村山市みたいな田舎に住んでいますと、都内に遊びに行くのは一大行事です。3、4件は用事を作ってまとめてこなすのです。
       5月11日は、上野の東京都美術館の若冲展にいきました。所用を一件済ませて着いたのは10時をまわったころ。二重になって折れ口の見えない長蛇の列に、びびりました。 まずは、チケットを買うのに30分。それから並ぶこと、約3時間。作品社刊 日本の名随筆アンソロジー 『落語』を一冊読めました。曇りで涼しいのが救いでしたが、きつかった。
       若冲の絵は、とりわけ鳥がすごい。幾重にも塗り重ねる技法で、偏執狂的な細密に、ただ感服です。ちょうどとなりの科学博物館でー「恐竜展」をやっています。最近の定説では、恐竜の直系子孫は鳥なのです。羽毛のある恐竜が多くいたようです。若冲は、そのことをすでに知っていたのではないか。とりわけ、目、とさか、けづめのついた足に恐竜を感じます。

       痛む足をひきずりながら、池袋演芸場へ。11日からの中席に、柳家喜多八師匠の名前があったからです。体調を崩されて、歩行困難になってしまった師匠が、ひさしぶりに寄席に復活されるのだからこれは行かなくてはと思ったのです。ところが予告されたプログラムから、名前が消えている。テケツのお姉さんに聞いても、よくわからない。ぼんやりした不安を感じながら、東村山の誇る女流噺家、柳亭こみちさん、喜多八師匠の学習院の後輩、文菊師匠、トリが菊之丞師匠。とうとう終演まで、喜多八師匠は登場しませんでした。

       写真の色紙は、喜多八師匠の達筆です。10年ほど前、2時間6回、喜多八師匠に少人数で落語を習うという、ぜいたくな講座がありました。師匠の芸談と、落語を演じる奥深さを垣間見せていただきました。そのときの卒業証書で、私の自慢です。

       喜多八師匠のことは、このブログで何度か書きました。約20年前、この演芸場で一目ぼれして、追っかけてきた師匠です。目立ちたがりのくせに独特のテレで、やる気のない風を装っていましたが、だれよりも勉強熱心で、流派を越えていろいろな師匠と、精力的に落語会をやられていました。げっそり痩せて、歩けなくなってしまってからも、口演される目の輝き、すごみ、声の張り、高座への情熱は決して衰えがなかったのです。

       寄席のあとは、銀座のギャラリーバー・カジマへ。友人のやっている店です。カウンターは、ほぼ女性客で満席。一人でも気楽に行けるバーとして、定着しています。となりの常連美人に若冲展の図録を見せると、「うちに飾りたくない絵」と一蹴。権威におもねらない、彼女の言い方が好きだな。絵や落語の見方は、好きか嫌いかでいいのです。

       5月20日の夜、喜多八師匠の訃報を知りました。池袋で感じた不安が、こんなに早くあたってしまうとは。

       残念です。ただただ、無念です。噺家の66歳と言えば、これから回収がはじまる人生だったのに。

       衷心より、お悔やみ申し上げます。


      文責・藤本邦彦

      | 落語・演芸 | 22:43 | comments(0) | - |
      寄席の花見
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         写真は、オオアラセイトウです。別名ショカツサイ、ムラサキハナナの方が一般的ですね。桜の満開を先取りします。
         
         久しぶりの寄席です。
         浅草演芸ホールの昼席から夜席途中まで。昼席トリは若手随一の実力派「春風亭一之輔」師匠。計算されたふてぶてしさが、いいですね。夜席は、わたしの敬愛する、マジックの「アサダ2世」先生。落語協会会長の「柳亭市馬」師匠まで見てから、浅草橋に移動して、私のいちおし「柳家喜多八」師匠の定例会に19時から21時半まで。どっぷり落語漬けでした。
         寄席も、植木屋同様、季節感をとても大事にします。東京の桜開花宣言が出た今ごろは、花見ネタが、必ずかかるのです。
         きょうも市馬師匠が「長屋の花見」を、いつもの美声で分かりやすくやられました。夜の喜多八師匠の会でも、弟子の「柳家ろべえ」さんが「花見の仇討ち」を元気よくやってくれました。ネタがかぶることはタブーとされるので、花見の噺は一日一席でしょうが、この時期どの寄席でも必ず誰かやると思います。
         たぶん一番よくかかるのが、「長屋の花見」です。
         例によって、下町の貧乏長屋が舞台です。大家に呼ばれた店子連中が、家賃の催促だろうとおっかなびっくり集まると、ケチな大家が自腹を切ってみなを花見につれていってくれるといいます。酒三升に、かまぼこ、卵焼きのつまみもあると言う。なんと太っ腹なっと、みんなの喜びもつかの間、実は酒は出がらしのお茶でうっすら色をつけた吟醸酒もどきの「お茶け」。かまぼこは、大根の半切り、卵焼きは黄色い沢庵の厚切り。もうせんのつもりで、ぼろむしろを引っ提げて上野の山に出かけたけれど、ちっとも盛り上がらない。ってな噺です。
         「花見の仇討ち」
        長屋の若い衆4人が、花見でごったがえすなかで、仇討の芝居をやってアッと言わせようじゃねえかいと相談がまとまります。悪そうな浪人に扮した熊さん、上野の桜の下で煙草を吸っているところに、巡礼に扮した二人が、親の仇だと斬りかかる。ひとを大いに集めたところで、六部に扮した半公がまあまあと間に入って、背負った酒肴を出し、実は花見の余興だったと披露するって趣向です。ところが当日、六部の半公は途中、おじさんにつかまると酒をのまされて酔いつぶれてしまう。いいかげんチャンバラごっこに疲れたころ、本物のサムライ二人が、巡礼の助太刀に抜き身で割り込んできた。たまらず逃げ出す三人に「逃げるには及ばん。勝負はまだ五分と五分でござる」とサムライ。「いいえ、勝負は五分でも、肝心の六部がまだ参りません」とサゲる。
         「花見酒」
        酒好きの二人は、花見で酒を売って小遣いを稼ごうと、酒屋で一樽借りると天秤棒で担いで上野の山に向かった。ところが根が酒好き、担いでいると匂い誘われて「おれに売ってくんねえ」と後ろ棒がつい一杯。片棒もたまらなくなって、「わしも一杯」。途中、お互いに釣銭で酒を売りあって、上野の山についたころには酒樽はからっぽで、二人とも酔いつぶれちまった。という小噺。
         「あたま山」
        落語マニアの間では、シュールな噺として名高い一席。ただ、短いしサゲが難しいのであまりかからないかもしれません。
        ある、ケチな人がサクランボを食べていて、種ももったいないってんで飲み込んだ。すると、頭を突き抜けてサクラの大木が生えてしまった。見事なサクラなので近所の人が頭の上に集まって、わいわい花見を始める。これはうるさくてたまらんと、サクラを引っこ抜くと、頭のてっぺんに大穴が開いて、雨でも降ると池になって、魚が湧いてきた。今度は、子供たちが釣りにやってくるし、船をこぎだす輩もいて、朝から晩まで大騒ぎ。ケチ兵衛さん、もはやこれまでと、自分の頭の池に身を投げて、死んじまいました、というサゲ。

         寄席のあと、花見に出かけると、どこかに落語の登場人物がいそうな気がして、なかなか楽しいものです。みなさんも寄席で花見はいかがですか。
         
        文責・藤本邦彦

         
        | 落語・演芸 | 10:43 | comments(0) | - |
        コメディアン 松元ヒロさん
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           「松元ヒロ」さん。スタンダップ・コメディアン。

           私の敬愛する芸人さんの紹介です。

           テレビには・・・たぶん出ません。TBSラジオの「土曜ワイド 永六輔その新世界」には、ちょくちょくゲスト出演されます。あとは、立川流の落語会のゲストもあるけれど、メインはソロライブです。それなので、ヒロさんを見ようと思うと、目の前で、生ヒロさんを見るしか手立てがないのです。
           松元ヒロさんのライブは、ちょっと独特です。なにしろ最初から最後まで、登場するのはヒロさんただひとり。衣装がえも休憩も、舞台の隅ですませます。1時間半出ずっぱりです。陸上とパントマイムで鍛えた身体は、うごきがしなやかです。高い舞台の上からしゃべるのに、少しも「上から目線」を感じない。しゃべりは、穏やかでとっても低姿勢。でも中身は、けっこう過激。だいたい56本のネタを、爆笑と、涙と、感動で構成しています。圧巻は、ラストのパントマイム天気予報。笑いすぎて椅子から転げ落ちる人も出るくらいの、鉄板ネタです。




           松元ヒロさんと、評論家佐高信さんの対談集「安倍政権を笑い倒す」が、角川新書から発売になりました。800円です。「社会風刺とは社会的弱者が、権力者を笑うもの。笑いの本質は、弱者にとって、下剋上を可能にする、最高・最強の武器であり、人間を解放するものである」ってなことがわかる本です。
           いきなりライブはなって方は、この本を読んでください。本で笑えたら、ライブではもっと爆笑できるし、笑えなかった方は、よしたほうがいいでしょう。
           松元ヒロ ひとり立ちライブ」は、紀伊国屋ホール。9/21〜24まで4回公演で、8/5発売です。
           コアなファンが急増中なので、すぐ満席になります。ご予約はお早目に。
           詳細は「ヒロポンの会」

          http://www.winterdesign.net/hiropon/

          文責・藤本邦彦


          | 落語・演芸 | 17:08 | comments(0) | - |
          さようなら、扇橋師匠・・・
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             私の大好きな入船亭扇橋師匠が、84歳でお亡くなりになりました。落語界の重鎮、名人の一人です。柳家小三治師匠の盟友。俳句の宗匠として「東京やなぎ句会」を主催、メンバーは、小三治師匠、上方の人間国宝故桂米朝師匠、名優故小沢昭一氏、永六輔氏など錚々たる顔ぶれです。
             扇橋師匠は、人情噺の名人だったと語られています。たしかに「鰍沢」はすばらしかった。しかし、わたしが一番好きだった扇橋師匠らしい噺は、なんといっても「弥次郎」です。おおホラ吹きの、バレバレのホラ話を、扇橋師匠のなんとも軽妙洒脱な語り口が絶品に仕立てあげ、もう、うっとりしちまいました。とくに、イノシシの子供たちが、オスの腹からぴょこぴょこ出て来るくだりが、笑いの絶頂で、ときどき師匠の小唄が入ったりすると、失神寸前でした。ほかには、「道具屋」の与太郎がすばらしかった。ダメですっとぼけた登場人物を、こんなに味わい深く演じる師匠はほかになかった。興味のある方は、YouTubeで検索してください。
             小三治師匠のトリ席では、たいていヒザ前に出られて、トリの邪魔をしない軽い漫談や、小三治師匠の噂話をされたのが、これがまたいつも絶品でした。
             小三治師匠、扇橋師匠が旅先の旅館で風呂に入って、おたがいのフグリに冷水シャワーをかけ合って「あひーっ」と騒いでいたら、仲居さんに変な顔をされたとか・・・どんなくだらない話をしてもとても上品で、ふわふわしていて、聞いていてほんとうに心地よかった。




             橋師匠と、直にお話しできたのは、もう20年くらい前になります。小学生の息子を連れて、落語協会主催の「円朝まつり」に行った時でした。扇橋師匠は、周囲の噺家さんから、「八っつあん」とよばれ、気軽にはいよーと、一眼レフカメラで写真を撮ったり、プリントしたものを渡されていました。たぶん、誰かれなく写して、プリントを差し上げていた様子です。当時はまだ、フィルム写真が主流でした。「八っつあん」は、前座名が「久八」、二つ目で「さん八」だったところからついたあだ名のようです。
             大円朝師の墓石の前で、撮影をお願いすると快く応じてくださり、当時、「大沢悠里のゆうゆうワイド」で俳句を教えておられた放送を聴いていますと申し上げると、「ああ、そうかい」と、嬉しそうに答えていただきました。本当に高座とまったく変わらない、気さくでとてもやさしいお人柄でした。
             噺家に、人柄は無縁なのかもしれません。談志師匠のように、人柄が悪いほど人気を博す噺家もいましたから。しかし扇橋師匠は、ほんとうに人柄の師匠だったと思います。
             5年前に、脳梗塞で倒れ闘病されていたようです。最期に高座をお見かけしたのが、7,8年前の日本橋亭の独演会だったような気がする。だいぶ口跡があやしくなっていたけれど、若い女性ファンが多いのにびっくりしました。
             7月15日がご葬儀でした、謹んでご冥福をお祈りいたします。
             
             同じ日に、もう一つ悲しい出来事がありました。戦争法案(安保法案ともいうらしい)が、予定通り強行採決されてしまいました。なぜ、国民の大多数が反対しているこのとんでもない法案を押し通すのでしょうか?
             アメリカに従って、世界中に派兵することは、世界中に敵を作ることになってしまいます。平和国家というかけがえのない日本の信用が、どんどん突き崩されていくのです。オリンピックの年が、テロ元年になるのではと危惧しています。子どもたち世代のことを考えて、政治をやってほしい。まだ間に合うのだから、撤回するべきだと、強く思います。
             当ブログでは、政治ネタはご法度としていますが、今般ばかりは黙っていられない。失礼いたしました。
                                                            文責・藤本邦彦


             
            | 落語・演芸 | 08:44 | comments(0) | - |
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