ヒゲをそろうが、そるまいが。
0

     ふと、気になったことがあります。一部の男たちはなぜ、ヒゲを生やしているのでしょうか?

     たいていの男性は、毎朝きちんとヒゲを剃って、外に行かれることでしょう。先日床屋さんで聞いたら、ヒゲがあるのは感覚として10%以下でしょうといわれました。ところが私の周囲は、恥ずかしげもなくヒゲを生やした連中ばかりなのです。

     うちの男性スタッフの神田も、名和田もヒゲ面。女性スタッフの、小川、森井の連れ合いもヒゲ面です。友人の紺野氏、キム氏、高部氏、佐藤氏も、京都の林ちあんも、カツ坊氏も、うちのネコの金坊もヒゲ面です。しかも、さっき鏡を見ましたら、私もヒゲ面なのでありました。なんということでしょう!!

     

     

     ヒゲというもの、時代によって、はやりすたりがあった様子です。日本では、戦国武将は、強さを強調するために、こぞってヒゲを蓄えたそうです。ところが江戸時代は、ヒゲは反社会的で厳禁とされた。明治になると、政治家たちが西洋のまねでみな生やしだした。昭和のサラリーマンもヒゲはご法度でした。記憶に残るヒゲは、田中角栄や、ドリフのカトちゃんなんかでしょうか。

     そもそも、日本人はそれほどヒゲが濃くない。世界では、宗教的な理由からカミソリを使わない、特にイスラムやユダヤ教の人たちは、立派なヒゲを蓄えていますね。先日イスラエルのサッカーチームを見たら、全員同じひげ面で見分けがつかなかった。

     スペインの産んだ天才画家に、ピカソとダリがいます。ピカソが二十数年早いけど、ほぼ同時代を生きました。ピカソはスキンヘッドで、あごもつるつるです。一方のダリは、黒髪の細面で、眼をめいっぱいに見開き、びよーんと細長く上向きに固められた口ひげが、最大のシンボルでした。

     画業は、ピカソは実に多彩、技法も刻々と変化し、しかもいつも超売れっ子でした。ダリは、幻想的でシュールな超写実技法でした。美術界のエンターテイメントがピカソで、ダリはかなり職人的な仕事だったように思います。・

     お目にかかってないのでわからないけれど、ピカソは、たいへん社交的な商売人でもあったのに対し、ダリは、大変人として有名でした。ダリの風貌も、まさに、自身を売り出すためのシンボルとして意図的に磨き上げられたもので、ヒゲと大きな目、高い鼻を最大の武器にしたのです。数知れない奇行と風貌のわりに、実はとてもシャイで、神経の行き届いた常識人だったともいわれます。艶福家ピカソに対し、ダリは愛妻ガラの一筋でした。

     児童文学者、今江祥智さんの「ひげのあるおやじたち」を読みました。江戸時代、ある藩の圧政と、城主の息子の横暴に、最下層の名もなき「ひげおやじたち」が結束して、知恵と工夫と体力で立ち向かい、ひっくり返す痛快な物語です。ところが、差別表現があるとクレームがついて、重版時に回収、絶版になってしまいました。私の読む限り、この決断はちょっと忖度が過ぎたのではないかと思いますが。その後数十年を経て、「ひげがあろうがなかろうが」のタイトルで、書き直し新作の表題作と旧編の合本が、解放出版社から出ています。新作もテンポのいい言葉運びで読ませますが、旧作のほうが物語のまとまりがあり面白いと思います。新作は、少年と、その父親のヒゲおやじが主人公です。ラストは、まだヒゲのない少年が、亡くなった親父さんの遺志を継いで権力に立ち向かう決意を固める、その意味を込めてたぶん「ひげがあろうがなかろうが」というタイトルなんだろうと思います。ただ、レジスタンスの主人公がちょっと超人過ぎて現実味が乏しく、冗長で飽きてしまいます。まあ新旧どちらの「ヒゲおやじ」たちいずれも、反権力、反骨で、好き放題ヒゲを生やしているのです。

     私がいつからヒゲを生やしたんだろうと、つらつら思い返してみました。私が、サラリーマンをやめて、社長と二人だけの、会社ともいえないような会社に移った30年前。ヒゲを生やしてみればと言われたのがきっかけでした。いちどやってしまうと、無精者にはとても楽です。

     数人に、なぜヒゲを生やしているのか取材してみました。スタッフの名和田は、当時勤めていた学校に抗議の意味で、生やしだしたといいました。佐藤さんは、仕事で役所に交渉に行くのに、なめられないようにというのが、きっかけだったそうです。神田は、いつの間にかだったそうです。カミソリに弱い、無精できるという理由も多いです。

     どうやら、ヒゲを生やす理由は、組織に縛られていない自由人という表明。わしらは他人とちょっと風体が違っているけれど、大丈夫!安全ですよって、意思表示のような気がします。世の中のヒゲおやじは見た目と違い、意外と内気で気弱、シャイで優しいことが多いのです。

     このようなわれわれですが、どうぞ、変わらぬおひきたてのほどを、よろしくお願いいたします。

     

     

    文責・藤本邦彦

    | 映画・本 | 10:25 | comments(0) | - |
    桜の森の満開の下
    0

       

       この季節になると、読み返す小説があります。「桜の森の満開の下」坂口安吾・作です。安吾は、太宰治のライバルとして並び称された作家で、「堕落論」とともに、代表作です。あらすじは、こうです。

       「むかし、鈴鹿峠に住み着いた、山賊がいました。ずいぶんむごたらしい男で、街道へでて情容赦なく着物をはぎ人の命も断ったのです。

       何一つ恐れるもののない男が、唯一怖かったものは、鈴鹿の山の中、桜の花の満開の森でした。花というものは怖しいものだな、なんだか厭なものだ、そういう風に腹の中でつぶやいていました。花の下では風がないのにゴウゴウ風が鳴っているような気がしました。そのくせ風がちっともなく、一つも物音がありません。自分の姿と足音ばかりで、それがひっそり冷めたいそして動かない風の中につつまれていました。花びらがぽそぽそ散るように魂が散っていのちがだんだん衰えて行くように思われます。それで目をつぶって何か叫んで逃げたくなりますが、目をつぶると桜の木にぶつかるので目をつぶるわけにも行きませんから、一そう気違いになるのでした。

       ある日、男が八人目の女房にすべく、亭主を切り殺して奪ってきた女は、たいそう美しかった。

        女はたいへんわがままで、贅沢好みで、残忍な性格でした。男の家に着いたとたん、前の六人の女房をすべて切り殺させ、一番醜い、びっこの女房だけは、女中で残しました。女のたっての希望で、三人は山を下りて、都で暮らすことになりました。男は、女に命じられるがまま、夜ごと金持ちの家に強盗に押し入って、家財と住人の生首を持ち帰ります。女が楽しんだのは、天井から無数につるした生首を使う、ごっこ遊びでした。

        男は、都の生活になじめず嫌気がさします。山に帰ろうとします。女の欲望は限りなく、満足するということがないのです。

       男は、女をおぶって、桜の花の満開の森にさしかかります。すると、女が鬼だったことに気が付くのです。鬼はぐいぐいと、男の首を絞めます。桜の森の真ん中で、男は、振り落とすと夢中で、鬼を絞め殺します。屍は、元の美しい女でした。女の顔に触れようとすると、女は掻き消え、花びらが残るばかりでした。女の姿は掻き消えてただ幾つかの花びらになっていました。そして、その花びらを掻き分けようとした彼の手も彼の身体も延した時にはもはや消えていました。あとに花びらと、冷めたい虚空がはりつめているばかりでした」

       もし山の中に、桜の森があったなら、夜の満月の下で、はらはらと音もなく散る下にいたら、限りなく孤独かもしれません。桜の幹は真っ黒く、花びらは地面を白く埋め尽くしていく。

       この五年後に書かれた「夜長姫と耳男」も、中世を舞台にした説話文学の傑作です。この「美しい女」も「夜長姫」も、とてつもないむごたらしさと、狂気を持っていて、主人公の男は翻弄されるのです。彼女たちは、残酷な芸術の女神なのかもしれません。男たちは、芸術の求道者を象徴しているのかもしれない。

       どちらも、とても濃密な物語です。何度読み返しても、新鮮です。新鮮なのは、情けないことに、いまだ解題できていないからでしょう。

       おすすめの短編小説です。

       

      文責・藤本邦彦

      | 映画・本 | 18:34 | comments(5) | - |
      児童文学の庭へ
      0

         「おじさんの家は、古いお屋敷を改築したアパートだ。二階の窓から見える景色は、都会のごみごみとした屋根ばかりで、トムはすぐに退屈してしまった。こんなところで、夏休みをずっと過ごすなんて!一階の広いロビーの壁には、古くてものすごく大きな振り子時計が時を刻んでいる。時間は正確なのに、鐘は気まぐれな数を打つ。真夜中、ゆめうつつの中で、鐘は確かに13回打った。眠れないトムはそっと部屋を抜け出してロビーに降りた。
         さびついた裏庭のドアを開けると、なんと、広大ですばらしい庭園が月夜に広がっているではないか。トムは夜な夜な、秘密の庭を探索し、少女ハティと友達になる。しかしここは、時間軸と存在がずれた空間で、トムにしか入り込めない秘密の庭だったのだ」
          以上は「トムは真夜中の庭で」 フィリパ・ピアス作 高杉一郎訳 岩波書店 のあらすじです。1958年に発表された、イギリス女流作家の児童文学作品。SF的な、R.A.ハインラインを連想させる時間構成が緻密で、ぐいぐい読ませます。読み始めたら止まらなくなってしまって、なにか胃のあたりにくぅーっとくる感覚が。これは何だろうって思い返すと、いわゆる“胸きゅん
        ”の感覚だったんですね。いいトシをしたおやぢが、お恥ずかしい。



         児童文学を、なんでいまさらといわれそうですね。「子どもの本の森へ」 河合隼雄と長田弘の対談集 岩波書店を人に勧められたのです。河合さんは、ユング派の心理学者、長田さんは詩人ですね。本書では、絵本と児童文学が多数紹介されていて、特に長田さんの幅広い読書に驚ろかされます。
         ここで紹介されている児童文学を、数冊読んでみたのです。どれも大当りでした。なかでも、とりわけ面白かったのが、この一冊です。ぜひ、お勧めします。
         子供の本だなんて、バカにしてはいけません。児童文学はじつに想像力豊かで、濃密な世界なのです。
         文責・藤本邦彦

         

        | 映画・本 | 19:54 | comments(0) | - |
        映画 『袴田巌 夢の間の世の中』
        0


          一昨日、武蔵小金井の宮地楽器ホールで行われた映画『袴田巌 夢の間の世の中』の試写会に行って来ました。
          以前にブログでご紹介した、映画『SAYAMA みえない手錠をはずすまで』を撮った金聖雄監督の最新作で、今回はあの袴田事件です。

          48年間という想像を絶する長い獄中生活を送り、再審決定がなされ釈放された袴田巌さんと姉の袴田秀子さんのその後の日常を追ったドキュメンタリー作品です。

          冒頭からモチーフとして描かれるきれいな月の映像と袴田巌さんの真ん丸い顔が徐々にシンクロしていき、巌さんの獄中日記に書かれた詩情溢れる言葉の一つ一つが、心地よい静かな音楽と相まって、誰もが抱える孤独感にじわじわと染み込んできます。
          ああこれは、キムさんのそしてKimoon Filmの代表作になるんじゃないかなと、勝手な確信をオープニング早々に抱いてしまいました。

          ユーモアと愛情に溢れる視点をもって事件ではなく人物を描く、いつものキムさん独特のスタイルは変わらず、巌さんと秀子さんの普段のやりとりや食事のシーン、将棋を指したり、買いものに出掛けたり、親戚の赤ちゃんをあやしたりするシーン、そんな日常生活のカットの随所に笑いを誘い、また、石川一雄さん、早智子さん夫妻や菅谷利和さん、桜井昌司さんとの再会のシーンや、後楽園ホールでのボクシング観戦の様子など興味深いシーンも盛り込まれています。

          “獄中での日常”という非日常を経て、社会生活という日常をひょこひょこと歩き出した巌さんの姿と、それを支える姉の秀子さんのハツラツとした姿は、観る人それぞれにあらゆることを問いかけてきます。

          長い長い獄中生活による拘禁症から発せられる巌さんのエキセントリックな妄言や行動の奥に潜む、自己の内に作り上げた精神世界から滲み出る不確かな美しい言葉はやはり胸を打ち、そして、季節を問わずに扇子で顔を扇ぎ続ける巌さんの静かなその姿に月を重ね合わせてしまいます。


          多くの支援者の方々に支えられ、深い愛情と情熱を注ぎ制作されたこの作品に触れ、またキム監督やプロデューサーの陣内さんから色々な話が聴けて貴重な体験が出来ました。
          個人的に近頃ニュース等を見ていて、様々な思惑の乗った胡散臭い正論や噛み応えのない良識と呼ばれるものに歯痒さを感じたりするおりに、このような確かな熱をもって語られる物語を通して、映画というメディアの価値や素晴らしさを改めて考えたりもしました。


          ご興味、ご関心を持たれた方は是非ご鑑賞ください。
          2月27日(土)よりポレポレ東中野にてロードショー開始です。
          その他の公開情報は以下のサイトでチェックしてみてください。
          よろしくお願いします。
           
          公式サイト:http://www.hakamada-movie.com

           
          文・神田
           
          | 映画・本 | 17:13 | comments(1) | - |
          「鑑定士と顔のない依頼人」
          0



             いやあ、映画を堪能しました。
             「鑑定士と顔のない依頼人」 2013年、イタリア作品。
             ジェフリー・ラッシュ演ずる初老の主人公ヴァ―ジルは、目利き美術鑑定士としてオークションを仕切る、たいへんなやり手。傲慢で、潔癖症で、女性嫌い。実はヴァ―ジルは、一つ秘密を抱えている。私邸にはセキュリティに守られた隠し部屋があって、古今東西の女性肖像の名画が約百点、高い壁にびっしりコレクションされていて、それに囲まれてくつろぐ時間がヴァ―ジルにとって至福の時なのだ。ところがこれらは友人の画家ビリーを使って、オークションを操作して格安で入手したものだった。
             ある日、ヴァ―ジルに鑑定の依頼が入る。ある豪邸に住む両親が亡くなった。それで遺品を整理してほしいという、女性からの電話だ。たしかに名品の数々がある家だが、依頼人がどうあっても姿を見せない。不審に思いつつも何度も通ううちに、依頼人クレアと、やっとドア越しに話ができるようになった。クレアは、この家のひと間に少女のころから引きこもって、作家として生きているという。ヴァ―ジルは、好奇心を抑えきれなくなり、隠れてクレアの姿を確認する。どんな怪物が出て来るかと思いきや、すらりとした、若くて美しい女性だった。
             ヴァ―ジルは、クレアに次第に心惹かれ、生まれて初めて生身の女性に恋をしてしまう。情交を重ね、婚約までした二人だったのだが・・・びっくりするどんでん返しが。
             ジュゼッペ・トルナトーレ監督、脚本作品です。監督は「ニューシネマ・パラダイス」「海の上のピアニスト」などで、有名です。だから、映画の作り方、見せ方が、実にうまい。
             ちょっと、クサい演出といってしまえばそれまでですが、細部にまで入念に伏線が張られていて、結末に唖然としてしまうのです。久しぶりに、映画を見て興奮しました。
            お勧めです!!
             文責・藤本邦彦

             

            | 映画・本 | 22:30 | comments(6) | - |
            | 1/2PAGES | >>