犀星、夏の庭
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    関東も梅雨明けしました。
    いよいよ、夏本番です!

    夏が来ると思い出すのは、室生犀星の軽井沢別邸です。
    数年前に、はじめて軽井沢を旅した際、軽井沢銀座通りの横道を散歩していて、偶然たどりつきました。
    質素な木戸の門をくぐると、一面苔むした庭が広がり、小さな純和風造りの平屋がとてもひっそりと立っていました。
    庭はモミジなどの落葉樹に覆われていて、木漏れ日が滑らかな苔を所々明るく照らしていました。
    大げさに造られた庭ではないのですが、周囲の林に溶け込んでいて、どこか未完成のようなさりげない雰囲気に、懐かしさを感じ、ひと時、暑さを忘れて佇みました。

    なんと、この庭は室生犀星自ら作庭したそうで、それを知って、急に親しみがわきました。


    犀星の庭好き、作庭へのこだわりは、「庭をつくる人」という随筆集で知りました。
    風景を見る眼はもちろんのこと、造園の知識、経験も本職顔負けの豊かさで、実際にこんな庭を作るならどれだけの手間と材料が必要か、なんていう見積りまで自ら作ってみたり、日々庭づくりに悪戦苦闘した様子が伺えます。
    日々、木をながめ、石を愛で、自然を慈しむ文章からは、本当に庭を愛してその日その日を送った人なのだと感じます。

     
    犀星は、幼い頃、毎日のように故郷の犀川の河原で石を積んで遊んでいたそうで、どうやらその河原あそびが犀星の庭づくりの原点になっているようです。
    犀星は軽井沢だけでなく、東京の自宅でも作庭に励んでいたそうです。
    「ふるさとは遠きにありて思うもの・・・」という犀星の名詩がありますが、故郷金沢を遠くはなれた土地で、自ら作った庭に原風景を重ね見ていたのかもしれません。


    軽井沢の犀星の庭を思い出すと同時に、私自身の原風景は何なのか、何処にあるのか、という思いをわいてきました。

    夏です、さあ、旅に出ましょう!

     

    文・小川

    | | 10:19 | comments(0) | - |
    しろよねの千枚田
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      しろよねの千枚田

      9月のはじめに行ってきました。石川県輪島市白米町にある棚田です。日本海に面して、小さな田がパズルのように隙間なく並んでいます。ここは名前の通り千枚を超える水田があるそうです。その日は雨が降っていたために、下まで降りてみるとこはできませんでしたが、小さな田は海岸ぎりぎりまで続いているように見えました。
      今まで、山の方の田圃しか見たことはなく、私の中では海と田圃はかけ離れたイメージだったので、海のこんな近くに田があることにまず驚きました。あとで調べてみると、海沿いの棚田は他にもいくつかあるそうです。
      棚田を見渡せる高台から見ると一つ一つの田が本当に小さく、一番小さそうなものは、両手で抱えられそうなほどに見えました。田と田の間を通るくねくねと曲がった畦道の模様も美しかったです。棚田の前には日本海が広がっており、深い海の色にこがね色の稲穂が映えてとてもきれいでした。きっと四季折々、1日のそれぞれの時間で楽しめる場所ではないかと思います。
      そして、高台にある道の駅では、棚田でとれたお米を使った出来立てのおむすびがいただけます。ここで作られたおむすびをこの景色の中で頬張る、とても贅沢で幸せな時間だと思いました。


      文 森井



      | | 21:37 | comments(2) | - |
      熊野は、とてつもなく聖地だった
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         和歌山県は、高野山、熊野古道と熊野三山、那智の滝、三重県の伊勢神宮を、大急ぎで巡ってきました。新幹線で東京発着、現地三日間のバスツアーなので効率はいいけれど、とにかくせわしなかった。
         二泊目のホテル浦島は、那智勝浦の太平洋側にはみ出した小山のような切り立った狼煙山岬に、へばりつくように何棟も建て増しされた、かなり大きなところです。数十メーター、海からいきなり立ち上がっていて、名のとおり眺めがいい。夜明けの展望台は、とてもいい眺めで、360度見渡せたのです。二泊目の朝は、このときだけ晴れて、朝日がとてもきれいでした。
         紀伊半島のはるか南海上に、観音浄土の「補陀落」があるとされた。沖縄のニライカナイ信仰も、南方沖の浄土です。補陀落をしばし見つめ、手を合わせました。この沖すぐに、広大な黒潮の流れがあり、ポリネシアや沖縄から「まれびと」たちがやってきたにちがいない。反対の北側の陸にすこしあがったあたりに補陀落山寺があり、緩やかな勝浦湾から補陀落舟が出されたのです。これは、四方に鳥居を立てた小舟の、棺桶のような船室に外からくぎを打たれ、わずかな水を頼りに、補陀落浄土を目指した、即身成仏の船です。中世から江戸まで、数十回出されたらしい。船に曳航され、この岬あたりでともづなを切られ、あとは風任せで漂流した。かつて補陀落山寺の住職は、還暦を迎えたら補陀落舟に乗るという定めがあったそうで、いかに信仰のためとはいえ、つらい決断だったでしょう。帰還を想定してないのですから。
         海から見る熊野の地形は、海の中から、もりもりもりと森が隆起してきたように見えます。海面からいきなり森が立ち上がり、深い山並みへと続くのです。巨樹がいたるところにあり、川や滝がある。降水量と湿気の多いため、石や樹皮、枝先までもが、コケや地衣類でびっしりおおわれています。山中からひょっと、南方熊楠が出現しそうです。熊野古道は、伊勢神宮と熊野新宮をつなぐ「伊勢路」。熊野本宮に参拝して、反対の海側、田辺に抜ける「中辺路(なかへじ)」。熊野本宮から、高野山を結ぶ「小辺路(こへじ)」。熊野新宮から、海沿いを田辺に回る「大辺路(おおへじ)」などのルートがあります。私の歩いたのは、それぞれのごく一部を数時間なのですが、かなりの高低差がある山道で、ゆっくり歩いてもなかなか大変です。かつてはこの道を、京都から三百キロ、歩いたそうです。
         「伊勢に七度、熊野に三度」といいました。伊勢神宮は、平地の森の中にあり、宇治橋を渡って内宮に向かいます。平坦で歩きやすく、だれでも参拝できました。それに比べ、熊野への道は、どれも険しい。熊野に向かうのには、死を覚悟した白装束で、通行手形にも行き倒れたら、その場で埋葬してくださいと一文はいっていたという。


         那智の滝
         
         補陀落山寺あたりからもりもりと森が連なり、山が深くなる途中に、白いタテ一本線が見える。これが前日行った、那智大滝です。海から見えるのです。那智の滝は、すばらしかった。滝口の上にしめ縄が張られ、三つに分かれた水が混然一体になって数十メーター落下する。流れを数十秒目でおってから全体に視点を変えると、滝の裏の岩肌がどんどん上に向かって動いていくように見える。頭がくらくらするのです。滝の脇には飛龍神社もありますが、脇を登ったところに、熊野那智大社と、青岸渡寺が並んでいます。この美しい滝の自然崇拝に、神道、仏教、修験道が習合しているわけです。本地垂迹で、神道の女神の本地が、仏教の観音であるとされました。しかも青岸渡寺は、関西の観音巡礼地西国三十三か所の、一番目の札所なのです。
         那智の滝の先の、幾重にも山が重なった彼方が高野山です。高野山はかの弘法大師空海が開いた、真言密教の総本山です。奈良県に近い、標高千メーターの連山の中に、広大な寺院群がある。若き空海は、熊野山中を駆け巡って修行を積みました。そして、高野山奥の院に入定、いまだに衆生のために祈りを続けているとされる。杉の巨木が立ち並ぶ下に、苔むした墓石が延々と続く。日本史の名だたる人物の多くの墓所が集まっている。その先に川で仕切られて、空海師の入定した御厨が立っていました。


          熊野本宮跡 「大斉原」
         このホテルの大浴場の一つが「忘帰洞」。荒波で岩盤に洞窟が掘られ、そこにかねてから温泉が湧いていたそうで、間口十メーター四方、奥行き二十メーターくらいの洞窟に湯船があって、開口部がすぐに海なのです。波が岩をうち、玉石がカラカラカラと引き潮に戻される音が響く。いかにも子宮回帰のイメージ。一泊目の、川の流れを聴きながら入る河原の露天風呂もよかったけど、長野県人はやっぱ海にイチコロなのです。旅の初日、熊野本宮の跡地、大斉原(おおゆのはら)を思い出しました。明治の大水ですべて流されて、今の山側に遷宮再建されたけれど、昔は川の中州に建てられ、四方を川で隔てられていた。この地形も、まさに子宮のようでした。

         日本的な「聖地」には、いくつかの要件があります。まず、山、もしくは岩。森、そして巨木。川、滝、海といった水。これらが最低三つ以上そろって、初めて「聖地」なのです。日本的な自然崇拝は、しばしば山や巨岩、巨木がご神体そのもの、あるいは、神々が示現する場です。水は結界を作り、場を清めるのです。神道も仏教も修験道も、古来からの自然崇拝も、熊野の大自然はすべてを包摂してしまう力を持つのです。



         熊野には、聖地のすべてがありました。圧倒されました。

        文責・藤本邦彦













         
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        読書の秋
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          「園芸家12ヵ月」は、チェコの最も著名な作家カレル・チャペックが四季の庭しごとを通じて愛情とユーモアたっぷりに園芸について綴った本です。

          この本が初めて出版されたのは1929年頃、第一次世界大戦後チェコが独立したのが1918年ですから、決して平穏な時代ではなかったはずです。

          ジャーナリストとしても活動していた彼が、いっぽうで見せるのんびりとした園芸家の姿、自分の庭にただ花を咲かせることに夢中になって悪戦苦闘する様子は、何度読み返しても本当に可笑しくて楽しくて、日々庭いじりに勤しむもの同士、深い親しみを感じます。

          私が特に共感した彼の言葉は「園芸家の喜びは単に美しい花を咲かせるための労働とそのむくいにあるのではなく、四季の作業をとおして自然の生命の美しさに触れることができる点にある」というものです。

          花の美しさを詠んだ詩人は星の数ほどいるけれど、土に親しむ喜びと悩みを詩情にあふれたユーモアたっぷりの文章で書いた詩人はそれほどいないかもしれません。

          「つぎの世に生まれ変わったら、園芸家は花の香に酔う蝶なんかにはならない。窒素をふくむ、かおり高い、くろぐろとした、ありとあらゆる大地の珍味をもとめて、土の中をはいまわるミミズになるだろう」と、彼自身の体で土を耕し、草花や虫などの生き物と触れる中で生まれてきた文章は、飾り気がなく素直に心に響きます。

          最後に彼はこう綴っています、「われわれ園芸家は未来に生きているのだ。バラが咲くと来年はもっときれいに咲くだろう、10年たったら、この小さな唐檜が一本の木になるだろう、50年後にはこのシラカンバがどんなになるか、見たい。本物、いちばん肝心のものは私たちの未来にある」と。

          「園芸家12ヵ月」は時代や国を越えて、植物を育てる楽しさや喜びを共感できる本です、

          彼の言葉の数々に園芸に込めた平和の願いをしみじみと感じます。
          文・小川

           

           

           

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          タイ、チェンマイ
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            三年前に、わたくしチェンマイに旅行に行きました。
            その頃チェンマイはちょうど雨季でした。旅行中、小さな洪水にもあいました。足首より少し上くらいまで水がたまりました。食堂での雨宿りにも退屈し始め、友達と2人、裸足になり真っピンクのカッパを着て路地を散歩しました。


            チェンマイに来て、いろいろと胸踊る出来事がありましたが、中でも印象に残っているのが、道のあちこちにおいてある睡蓮鉢でした。それらはものすごく味わいがありました。大きい葉っぱのものや葉っぱが多すぎて重なりまくってるものや四方八方に飛び出してるものや、とにかくいろいろです。鉢は大抵、苔がむしむしです。水はちゃんとたっぷり入っています。雨水のような気がします。

            姫睡蓮の葉っぱが真ん中に向かって集合しています。集まってる先には蕾がぽっと出ています。



            その他の植物も日本とはまた違う雰囲気がありました。水をいっぱい吸って大きく大きく深呼吸している感じでした。水には困っていません。という感じです。こっちまで気持ちよくなります。
            このチェンマイへの旅行で、わたしは植物に関わった仕事がしたいと思うようになりました。
            これから夏本番です。皆様も熱中症にはくれぐれもお気をつけくださいませ。
            外仕事は大変ですが、チェンマイへ行ってよかったなと思う今日この頃です。




            文・森井
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