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衝撃の映画
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    最近見たドキュメンタリー映画がいろんな意味で衝撃的だった。

     

    三上智恵、大矢英代監督 「沖縄スパイ戦史」

     

    ほとんどはたくさんの当事者へのインタビューで構成され、次第に一本の線につながっていく、そんな映画だった。

     

    第2次世界大戦末期、唯一日本で一般住民を巻き込んだ地上戦が行われた沖縄戦。米軍が上陸し20万人余りが命を落とした恐ろしい出来事。

    私は植木屋になる前、何度も沖縄に行き、様々な場所で沖縄戦の爪跡へ出向いた。そして多くの学生を連れてひめゆり学徒隊の話を聴いたり、ガマの中に入ったりして一緒に学び、感じ、考えてきたつもりだった。ただ、それらは全て、沖縄本島の中部から南部にかけてのことで、北部はそれほどでもなかった、という認識だった。

     

    だが、そうではなかった…。

    戦後、70年以上語られることのなかった沖縄本島北部での「秘密戦」の数々。ゲリラ戦やスパイ戦、そして住民同士のスパイ虐殺…。

     

    …スパイ教育を受けた「陸軍中野学校」出身のエリート青年将校(北部に行った二人は22歳!)が少年ゲリラ兵を育て、戦場へと向かわせる。またこれは本土決戦の予行演習でもあった。

    …爆弾を背負って米軍の戦車に突っ込んで行く時、(幸いこの方は突っ込まず、生き延びた)10代半ばの少年ゲリラ兵は「生まれて来なければよかった。生まれなければ母親を悲しませずに済んだのに」と語った。

    …ゲリラ兵は結束を固める為、同じ村、同じ集落の幼なじみでグループを作った。また、優秀な子供だけを選抜し、そのために加担したのはそれぞれの村の代表や教員!だった。

    …八重山諸島の人たちは日本軍の都合で強制移住させられ、マラリア地獄となる。

    …本島最北端の村で起きた住民同士のスパイ虐殺。兄を殺された方は2年前にはじめて口を開き、その事実が明らかになる。殺してしまった方が亡くなってやっと語ることが出来たのだ。どちらも70年以上その事実を抱えながら同じ小さな村で生きてきたことは想像に絶する。

     

    たくさんの知らなかったこと、知らされなかったことも衝撃だったが、違う意味で衝撃だったこと、それは…、

     

    自然豊かな北部、いわゆる「やんばる」と呼ばれるところへ私は何度も行った。それはある意味では戦争を感じることなく、思いっきり自然を感じ味わうため。また、生活は苦しくても人間らしい、豊かな生活をつくられているオジイやオバアに会いに行くため。これらのことは自分の生き方を考えさせてくれた。(7年前から植木屋と音楽の二足のわらじで歩いていますが、その決断をしたのも学生と一緒にやんばるに行った旅が大きいのです)

    そのやんばるの山の中での74年前にあった出来事、そして、たくさんの楽しい話をして下さったオジイやオバアが沖縄北部での「裏の戦争」を体験していた、という事実。

    全てを受け入れてくれるようなオジイやオバアの包容力や優しさは、74年前の体験をくぐり抜け、生き延びて、大自然の中で日常をつくってこられたからかもしれない、と今、感じている。

     

    東村山中央公民館での1日だけの上映はたくさんの人が観に来られていたが、その中にあの戦争を体験されたであろうおじいちゃんおばあちゃんがたくさんいらっしゃったこともとても衝撃を受けた。わざわざしんどい思いをして観なくても…、と思うが、同世代を生きてきた沖縄の人たちの思いを少しでも共有したい、ということだったのか。

     

    大変な映画だが、是非若い人たちに観て、感じて欲しい。思想や宗教、人種などを超えて、「自分とは違う」ことを認め合いながら新しい世界をつくっていくためにも、オジイ、オバアの口を開いた勇気や意味、思いを受け取る責任があると感じている。

     

    文責 名和田俊二

     

     


     

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    | 映画・本 | 01:39 | comments(1) | - |
    初物をいただきました!
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       なにしろあっしゃ信州生まれの「ニセ江戸っ子」っすから、初物好きと粗忽についちゃあ人後に落ちない自信があります。ってえわけで、きのうも社内の初陣を切って、初物をいただきました。

       スズメバチに刺されたのです・・・ほぼ毎年私が先頭を切ってやられます。

       池袋近くのお宅のスダジイを剪定していると、頭の上をキイロスズメバチが2匹、小さい円を描きながら上下にホバリングしています。こういう飛び方は、巣が近くにあって警戒している飛び方です。手を休めてよく見ると、手が届く位置に直径15センチくらいの巣があって、働きバチが10匹くらいいます。私はできればハチは殺したくない立場ですが、仕事ができないので仕方がありません。ハチスプレーを取りにおりました。そこで立て続けにケータイが鳴って、電話を2本済ませるとまた仕事に戻りました。さっきの続きの剪定を始めると、なぜか左手中指にスズメバチがとっついているではあーりましぇんか!やられました。

       なにしろあっしゃあ「ニセ江戸っ子」の根っからの粗忽者っすから、3歩もあるくってえと最初の目的を忘れます。電話をしているうちにスプレーを取りに行ったことも、ハチの巣があることもものの見事に忘れきっていたのです。もはや認知症かっ。

       

       

       すぐに木から降りて、インセクト・ポイズン・リムーバーで毒を吸い出しました、これで大丈夫と思っていたら、痛みが続き左手の甲が膨れ上がってきたのでよく見ると、気が付かなかったけど手の甲ももう一か所刺されていた様子です。手遅れです。翌日の今はかなりパンパンになっています。

       

       なにしろあたしゃあ信州生まれの「ニセ江戸っ子」、ガキのころの娯楽といえばハチの巣とりでした。小さいけど彼女らは空を自由に飛び回り、毒針という武器を持っているのです。それに対してこっちは徒手空拳。せいぜい棒っきれをもってそっと巣に近寄るとたたき落として、一目散に逃げるのです。そのとき棒を持ったままいると、刺されるとされた。このスリルがたまりません。ハチは巣の場所をきっちり記憶しています。働きバチは餌をとって、まっすぐ帰巣できるのです。ところが、巣を落としてしまうと50センチ下に巣が落ちていても、もはや認識できないのです。最初はぶんぶんと巣があった周りを飛んでいるけれど、見つけられないとどこかに行ってしまいます。巣がなければ、むやみに恐れることはありません。餌を探したり、蜜を吸っているハチは、捕まえない限り襲ってくることはありません。 騒ぎがおさまったころ巣を回収すると、ハチの子をマチ針で引っ張り出し、フライパンで甘辛炒めにしておやつにしたものです。

       スズメバチは最初、越冬した女王バチが一匹でトックリ型の巣を作ります。卵を数個産んで、働きバチが数匹生まれてくると、丸い大きな巣に作り直します。働きバチはすべてメスで、女王の子供、全員姉妹です。姉妹は協力して巣を拡大、命がけで後から生まれる姉妹を守るのです。

       どうやら私が毎年真っ先に喰われるのは、積年の恨みを感じているからにちがいありません。

       

      文責・藤本邦彦

       

       

       

      | 生きもの | 06:35 | comments(0) | - |
      「ねこ検定」の扉は重かった・・・
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          世間は令和で浮かれているってえのに、しょっぱなからつまずきました。

          平成の終わりに受験した「ねこ検定」の合否が、B5の封書で届きました。封筒が大きいからこりゃ大丈夫と自信満々であけてみると、立派な不合格通知がぺらっと入っていました。なんと合格基準の70点に1点届かずの69点で、門戸を閉ざされてしまったのであります!

          新天皇のお祝いで、1点くらいサービスしてよ、主催の日販さんにはかつてしょっちゅう通っていたことがあるんだしとつぶやいてみたものの、どうにもなりません。受験後の自己採点でギリギリ入るかと思っていたんですが、甘かった。やっぱ、勉強不足でした。

          まことに申し訳ありませんでしたと、椅子の上で香箱すわりしてくつろぐ金坊に土下座してみたものの、猫キックを加えるまでもなく、ただひとあくびして無視されてしまいました。

         

         

          それにしても、設問がマニアックすぎませんか。たとえば「クイーン」のボーカル,フレディー・マーキュリーのラストアルバム収録曲のタイトルになった、愛猫の名前は何か?なんて、かなり時事ネタではあるけど、「デライラ」だったなんてまったく知りませんでした。フレディは大のねこ好きで常に多頭飼いしていて、デライラの動画が残っているくらいです。クイーンはドンピシャ世代だったけど、そんなに聴いてなかったしなあ。

          言い訳しだすときりがありません。

          ねこ検定中級の肩書を名乗りたかっただけなのに、きっちり拒否されてしまいました。

          資格試験なんてなんでもそうだけど、資格はただの一定のお墨付きに過ぎないのです。それよか、大事なことは、観察眼とねこへの愛なのです。愛があればねこのこともわかるし、それだけでいいのだよと金坊に言い聞かせながらだっこすると、こんだぁ腕を噛みつかれました。

         

        文責・藤本邦彦

        | 生きもの | 06:47 | comments(0) | - |
        ユスラウメの病気
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           下の写真は、ユスラウメの若い実がついた枝先です。バラ科でウメというより、サクランボがいちばん近い感じです。楕円形の黄緑が正常な実ですが、横のバナナのように長く伸びて白い粉を吹いているのも同じ実です。5個に1個くらいの割で、見られます。これは、「ユスラウメ袋実病(ふくろみびょう)」という、カビが原因の病気です。バラ科果樹の兄弟分、スモモにも発生する病気です。実が数倍に肥大して、中は袋状に空洞になっています。粉を吹いているのはやがて黒くなって、胞子を飛ばします。

           

           

           似た病気に、ツツジやサザンカの葉っぱがモチのように膨らんで、最後に破裂して胞子を飛ばす「モチ病」があります。また、実の変形の仕方は、「エゴノネコアシアブラムシのゴール」にも似ています。ただ、アブラムシのゴール(巣)は、中にアブラムシが住み着いているのに、これはまったくからっぽです。どちらも、実の芯になる硬い核が形成されないのが不思議です。

           ユスラウメの正常な実はこれから倍くらいの球形になって、透明な赤に熟すと食べごろです。果皮が薄く、果汁は甘酸っぱくてとてもおいしい。つぶれやすいのでスーパーの店頭で見たことがない。家庭果樹の代表です。

           カビの病気の防除は、真冬に「石灰硫黄合剤」を撒くといいとされますが、これは臭いがきつく、車やサッシにつくと白くなって取れないのでなかなか扱いが厄介です。3.4月頃にトップジンM水和剤などの殺菌剤を散布すると多少効果的かもしれません。しかし、家庭で生食することを考えると、収量が減っても病気の実を取って伝染を防ぐことがいいのではと、思います。

           

           

          文責・藤本邦彦

           

          | 植物 | 21:42 | comments(0) | - |
          湘南に昭和を見た!
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             横須賀に行きました。あるお客さまが杉並から横須賀の湘南鷹取に引越されるので、鉢や植木の引っ越しをしてほしいといわれ、お引き受けした次第です。

             横須賀とか湘南とか、私にいちばん不似合いな街です。なぜというに、山育ちでマリンスポーツなどまったく無縁、サザンオールスターズにも無関心、おしゃれな感じが近づきがたく、まったく足の向かない地域です。

             東村山を出発して府中街道、多摩川沿線道路から川崎を抜けて第3京浜に乗り、なんだか頻繁に現れる料金所にむかつきながら横横道路を下りて、横須賀街道を南下。京浜急行の追浜駅を通過した左手アーケード上に、「そよ風食堂」なる看板を見つけて、昼飯は何がなんでもここだと固く誓ったのであります。ものすごくそそられます。

             

             

             

             お客さま宅から歩くこと10分、「そよ風食堂」に行ってみました。アーケード上の看板の様子がまず、いいですね。書体といい、ブリキの感じ、赤字でたばことかいてあるのもいい。「そよ風」というネーミングセンスにやられました。

             中は20席くらいで、70代の老夫婦がやっておられる。間もなく「令和」だそうですが、ここはもう昭和の時間がそのまま止まっているのです。

             メニューは豊富で、おすすめ定食が、和、洋、中華から選べる。それぞれ800円くらい。私は迷ったあげくラーメン半チャーハンセットにしました。懐かしい東京の中華そばってラーメンです。ラーメンをすすっていると、「たばこをちょうだい」と、外からお客さん。「これ出してから行くから、ちょっとまってて」と、おばあちゃんの客あしらいがまたいい。

             隣の席の、二人連れの片割れ、車いすの80代とおぼしきご老女が、昼からマグロブツでジョッキビールをうまそうに召し上がっていて、うらやましかった。

             外に出ると、標高3メーターという標識にびびった。海は好きだけど怖いのです。横須賀街道のはす向かい京浜急行の線路側には、間口1間、四畳半くらいの飲み屋が軒を連ねていて、ここも昭和臭がぷんぷんなのです。「湘南鷹取」食わず嫌いだったけど存外気に入ったな。私のような昭和のオヤジにも優しそうだ。

             元号なんてまったく関心がないのですが、自分の人生を振り返ってみると、昭和に青春時代を過ごし、平成になると境遇が激変してもみくちゃだった。平成の終わりにまた個人的なひと悶着あり、断捨離中です。令和は少し落ち着きたいものですが、どうなりますやら。

             

            文責・藤本邦彦

             

             

             

             

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